
重要文化財 松下家住宅
松下家は古い歴史をもつ豪農の家柄。約190年前に建てられた主屋と、明和初期建築の土蔵が現存し見学可能。主屋は長野県南西部に多い切妻造り妻入の構造。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
松下家は古い歴史をもつ豪農の家柄。約190年前に建てられた主屋と、明和初期建築の土蔵が現存し見学可能。主屋は長野県南西部に多い切妻造り妻入の構造。
庭園の美しい大宝寺にある地蔵で、発見当時から首がなく、隠れキリシタンが観音像に似せてマリア像を作ったという伝説が残る。
間口が狭く奥行きがある出梁造[だしばりづくり]が特徴の、奈良井の代表的民家。櫛問屋を勤めた中村利兵衛の屋敷として、天保8年(1837)の大火直後に建てられた。雨戸の役目を果たす蔀戸[しとみど]をはじめ、防火壁として設けられた袖壁、猿頭をあしらった鎧庇[よろいびさし]、情緒ある千本格子や潜[くぐ]り戸など、独特な造りがそのまま残る。屋内は、通り土間が裏まで続き、ミセノマ、吹き抜けのカッテ、ナカノマ、ザシキ、箱階段などが見られる。
山下家は、江戸中期から大馬主として財をなした豪農。本棟造[ほんむねづくり]の屋敷は長野県宝に指定されている。建物内では伝来の馬医書などを公開。隣の考古博物館では、柳又遺跡で出土した「柳又ポイント」と呼ばれる舌状突起を持つ有舌尖頭器など、開田高原で出土した石器などが展示されている。
昭和44年(1969)に解体復元され、江戸中期に建てられた木賃宿[きちんやど]と推定される。中央の土間を挟んで両側に部屋が並ぶ、珍しい中土間形式の造りで、民家の歴史上貴重な建物。建築当初の形式をよくとどめている。旅人が集ったであろう囲炉裏[いろり]のある板敷きの部屋もあり、庶民の旅籠だった当時の雰囲気がうかがえる。
南木曽町博物館のひとつ。妻籠宿の脇本陣・造り酒屋であった林家の屋敷で、「奥谷」とは林家の屋号。現在の建物は木曽五木[ごぼく]の禁制が解かれた明治10年(1877)に建築され、総檜造り。当時の粋を集めて建てられた。島崎藤村の初恋の人「おゆふさん」の嫁ぎ先でもあり、敷地内の土蔵には肖像画や愛用品、藤村から送られた書などゆかりの品が展示されている。また、平成13年(2001)6月15日付で南木曽町博物館で「脇本陣奥谷」として公開されている「林家住宅」の主屋、文庫蔵、土蔵、侍門が国の重要文化財に指定された。
大妻籠にある古民家で、17世紀中頃に建てられた、県内の民家でも有数の歴史ある建物。昭和53年(1978)県宝に指定された。
南木曽町博物館のひとつで、宿駅が制定されてから代々妻籠宿の本陣・庄屋を務めた島崎家の邸宅。藤村の母ぬいの生家でもある。明治20年(1887)代に一度取り壊されたが、江戸時代後期の間取り図を元に再建された。島崎家の居住と、大名が泊まった御上段の間や家来が使った部屋まで、往時の姿のまま忠実に復原されている。
檜、サワラなどの木曽五木をはじめとする、伐採禁止木の出荷を監視していた番所の跡地。当時は無断で木曽の木を持ち出すと「木一本首一つ」といわれるほど罰則が厳しかった。もとは妻籠の下り谷にあったが、寛延2年(1749)の山崩れにより一石栃に移され、以後統制は明治2年(1869)の藩籍奉還まで続いた。現在は木の柵が復元され、標示板が掲げられている。
西に伊勢山、東に南木曽岳と、緑深い遠景に囲まれて、南北に伸びる妻籠の旧街道。緩やかに上下する道筋を歩けば、古めかしく、どこか懐かしい木造家屋たちが時の旅路へと誘ってくれる。伝統建築家屋は奥行きが深く、出梁造りの2階建てになっているのが特徴で、江戸時代の旅籠や民家だった建物は、和カフェにみやげ物店、展示施設などになり、その姿を今に残している。武士や公家が宿泊や休憩に利用した本陣は、平成7年(1995)に江戸時代後期の間取り図をもとに復元した建物。平成13年(2001)に国の重要文化財に指定された脇本陣奥谷は、檜をふんだんに使い城郭を模して建てられたもの。ぜひ見学しにいこう。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。