
長国寺 表門
長国寺の真田信之公霊屋に備わる表門。宝殿とともに万治3年(1660)に建立された切妻造り柿葺きの四脚門。大棟には真田家の家紋「六連銭」が記され、黒塗りの両開きの扉を持ち趣がある。隣にある信弘の霊屋は県宝に指定されている。
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長国寺の真田信之公霊屋に備わる表門。宝殿とともに万治3年(1660)に建立された切妻造り柿葺きの四脚門。大棟には真田家の家紋「六連銭」が記され、黒塗りの両開きの扉を持ち趣がある。隣にある信弘の霊屋は県宝に指定されている。
戦国時代、武田信玄によって築城されたといわれる城。元和8年(1622)に真田信之が上田から移封されて以来、10代約250年にわたって真田氏が城主をつとめた。明治の廃城後、建物は取り壊されたが、櫓門や木橋などが復元され一般公開されている。国指定史跡。
武田信玄と上杉謙信が戦った古戦場跡。公園に隣接する八幡社の境内には二人の一騎討ちを再現した「三太刀七太刀」の碑や銅像などが立つ。
佐久間象山が松代での9年の蟄居の後、京都の川べりにかまえた家の一部(茶室)。昭和56年(1981)、象山神社の境内に移築された。東山や八坂の塔が見える眺めのよい家で、その雨に煙る情緒豊かな風情を象山が愛でたといわれる。
象山神社の境内にある木造2階建て、寄棟の屋根を持つ建物で、長野市の指定文化財。佐久間象山が借り、書斎や客間として使用していたため、長州の高杉晋作、久坂玄瑞[くさかげんずい]、土佐藩の中岡慎太郎など幕末の志士が多く訪れた。
山寺常山は、佐久間象山と同時代に活躍した松代三山の一人。松代城下に残る門としては最大の長屋門形式の表門と書院、川の水を引き入れている池(泉水)をたたえた庭園が見事。庭園は国の登録記念物(名勝)に指定されている。
女鳥羽川にかつて多く生息していたカエルと、商店街に活気が“かえる”をかけている、縄手通りのマスコット。通りの中ほどにはカエル大明神が立ち、ユーモラスなカエルの石像やカエル撮影看板なども点在している。
有明山山麓に広がる歴史公園。古墳時代のムラを当時のままに再現した園内には、国の史跡に指定されている森将軍塚[もりしょうぐんづか]古墳や古墳の竪穴式石室などを展示する千曲市森将軍塚古墳館、長野県立歴史館などの史跡や施設がある。
大正8年(1919)に設置され、「松高」の名で親しまれた旧制高等学校。自由闊達な校風で、各界で活躍する多くの人材が巣立った。昭和25年(1950)の学制改革で、旧制高校の制度が廃止になるまで5000名余の人材を輩出。唐木順三・臼井吉見・辻邦生・熊井啓・柚木沙弥郎・古田晁も卒業生。北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』には、彼の松高時代が描かれている。本館と講堂は、あがたの森文化会館として市民に利用されており、復元校長室・教室の見学は自由。旧制高等学校記念館が隣接(大人310円)。
「国宝 松本城」の天守。5重6階の天守(国宝)を中心に渡櫓[わたりやぐら](国宝)で乾小天守[いぬいこてんしゅ](国宝)をつなぎ、辰巳附櫓[たつみつけやぐら](国宝)と月見櫓(国宝)を複合した独特の美しい構造。創建当時のまま現存する貴重な天守だ。外壁は白漆喰に黒漆塗りの下見板張りで、窓が少ない。内部に入ると、各階をつなぐ階段は急勾配なうえ、蹴上げが高く、居住性よりもむしろ戦闘への備えがうかがえる。最上階からは、美ヶ原高原や安曇平、北アルプスなどが展望できる。
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