
舘山寺
庄内半島の西、高さ50mほどの小さな山、舘山の中腹にある曹洞宗の禅寺。舘山寺温泉の名前の由来でもある。もとは弘仁元年(810)、弘法大師が開いた真言宗の中嶺山舘山寺という古刹で、鎌倉時代に兵火で一度は焼失したものの、源頼朝が自らの祈願寺として再建。明治の廃仏棄釈で廃されたが、明治中期になって曹洞宗の寺として再び興された。周囲には浜名湖を見ながら一周できる遊歩道もある。
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庄内半島の西、高さ50mほどの小さな山、舘山の中腹にある曹洞宗の禅寺。舘山寺温泉の名前の由来でもある。もとは弘仁元年(810)、弘法大師が開いた真言宗の中嶺山舘山寺という古刹で、鎌倉時代に兵火で一度は焼失したものの、源頼朝が自らの祈願寺として再建。明治の廃仏棄釈で廃されたが、明治中期になって曹洞宗の寺として再び興された。周囲には浜名湖を見ながら一周できる遊歩道もある。
秋葉神社から、やや下ったところにある古刹。火防の神として全国に知られ、山岳宗教のメッカだった標高866mの秋葉山。明治5年(1872)の神仏分離で一時廃寺となったが、明治13年(1880)現在地に再建。12月15・16日の火まつりでは、夜9時から厄除けの護摩焚きが行われる。来る年を占う凧が護摩の火気で勢いよくあがり、火がしずまった後、その上を裸足で歩く火渡りの荒行も体験可。
室町時代の康正元年(1455)、勝間田[かつまた]氏の菩提寺として創建された古刹。11月26日には開山忌が行われる。
建徳2年(1371)、後醍醐天皇の皇子無文元選[むもんげんせん]禅師によって開かれた。杉の老木が茂る鬱蒼[うっそう]とした境内に、本堂・半僧坊真殿・開山堂・三重の塔など、60あまりの堂宇が立ち並ぶ。宿泊研修や座禅、法話の体験可。
建徳2年(1371)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師によって開山とする臨済宗の禅寺。方広寺の鎮守の神である半僧坊の信仰も篤く、深い緑に包まれた境内には、本堂を中心に半僧坊真殿、開山堂、三重塔などが立つ。国の重文指定を受ける七尊菩薩堂は県内最古の木造建築。境内各所に置かれた五百羅漢の石像も見どころのひとつだ。要予約で精進料理を味わうこともできる。
境内入口に樹齢750年、根回り6m、樹高18mのカヤの大木があることから、榧[かや]の寺とも呼ばれる。本堂の左前にあるビルマ(現ミャンマー)の仏鐘は、世界平和と人類の幸福を祈念したもの。本堂の地下に真っ暗な通路があり、一周して戒壇めぐりをすると厄落しができるという。話題になっている占い摩尼車もある。宝物館にはビルマの竪琴や仏鐘、釈迦如来などが安置されている。境内には夜香樹(ビルマの木)も植えられ、5月下旬~11月下旬の開花期はあたりが暗くなると芳香が漂う。
覚照という僧によって、元応元年(1319)に創建されたと伝わる。寺宝に河童のかめと呼ばれる壺があり、かつて栖足寺の住職に助けられたカッパが、お礼に置いていったとの伝説が残っている。黒褐色をした高さ36cmほどの焼物で、壺口に耳を当てるとせせらぎの音が聞こえるという。
仁科川の上流にある寺。本堂の天井に漆喰[しっくい]の羅漢像と八方睨[にら]みの龍が描かれていることで知られている。羅漢像は500体もある。
応永21年(1414)創建の浄土宗の古刹。本堂の欄間には幕末の名工・石田半兵衛作の十六羅漢像の透かし彫りが見られる。境内から湧き出る清水が寺名の由来で、本堂裏手には池泉を配した庭園がある。江戸時代に伊豆の三庭園とうたわれた場所だ。
元正天皇の勅命を受けた僧行基により開創された古刹。奥之院の摩利支天[まりしてん]は今川家、徳川家御本丸の祈願所として信仰されてきた。また、国内最大級の大黒天を祀る大黒殿があり、遠州福の神として信仰を集めている。近年はパワースポットとしても話題に。11月中旬~12月にかけて、四季桜と紅葉のコラボレーションが楽しめる。
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