
野上弥生子書斎
昭和8年(1933)、北軽井沢に建てられた野上弥生子の書斎兼茶室。以来、99歳で亡くなるまでの大半を北軽井沢で過ごし、自然と親しんだ。
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昭和8年(1933)、北軽井沢に建てられた野上弥生子の書斎兼茶室。以来、99歳で亡くなるまでの大半を北軽井沢で過ごし、自然と親しんだ。
万延元年(1860)、最後の藩主・内藤頼直によって、高遠城内に開設された学問所。財政難で新たな建物の建設ができなかったため、城内三の丸にあった家老の空屋敷を改造して使用。藩士の子弟らは朱子学・漢学・医学・和学・算学・洋学などを学んだほか、馬術・剣術・柔術・砲術・西洋式教練なども行った。明治5年(1871)の廃止までに通算500人の生徒が学び、日本の近代化を担った多くの学者や政治家を輩出。現在も建物の一部が残り、聖廟には孔子ほか四聖人が祀られている。所要10分。
高遠湖の畔にあり、原始から近代に至る高遠の歴史、文化、人物などをテーマに展示している。立川流彫刻が美しい山車や高遠藩校進徳館の五聖像など貴重な文化財を見ることができる。敷地内には、徳川6代将軍家宣の側室に仕えた大奥大年寄の絵島が、絵島生島事件で高遠に流刑とされ、61歳で生涯を閉じるまでの27年間を過ごした絵島囲み屋敷を再現している。また、開花期の高遠城址公園の映像を鑑賞することができる桜シアターも備えている。所要30分。
大鹿村の歴史と民俗文化を紹介。農家の居間や土間を再現したコーナーでは、収穫作業などで使った農具を展示。また、はた織の道具も展示され、体験もできる。歌舞伎見物などで使われた弁当箱ろくべんも見ることができる。
軽井沢タリアセン内にある文学館。堀辰雄、室生犀星、立原道造など、軽井沢にゆかりのある文学者の資料を展示している。直筆原稿や書簡、愛蔵品など所蔵資料は約2万点。さまざまな企画展を年に4~5回行っている。文庫内には旧軽井沢にあった堀辰雄の山荘や有島武郎の別荘、野上弥生子の書斎兼茶室なども移築・公開。当時の格調高い軽井沢文化の一端にふれることができる。所要40分。
贄川関所は木曽路の守備の拠点として、女改めのほか、尾張領である木曽谷の統制物資、特に木材の密移出の取締りといった役割を担ってきた。建物は明治2年(1869)に取り壊されたが、当時の配置図や史料をもとに、敷地面積や間取りもそのままの姿で現在の場所に復元された。内部では関所や街道の交通についての資料を展示している。
漆器店でもある宮川家は宿場町の面影を残す建物。店舗奥の土蔵が史料館になっている。家伝によれば鎌倉時代末期大覚寺派、武家の落人でその身を修験者に変え辺境の木曽にたどり着いたと云われる。鎌倉時代末期から昭和初期までの史料約1000点。天明年間(1781)から昭和2年(1927)まで6代医師を務め、4代の玄純[げんじゅん]は尾州藩より城中帯刀を許され、代官や役人の治療に当たってきた。医療史料はもちろん、天明時代の天文学の本・松尾芭蕉・与謝野蕪村・山岡鉄舟等の色紙等・宮川家代々受け継がれて来た貴重な史料を陳列。所要10分~。
当たり前のようで難しい「地元の素材を地元で加工した特産品」にこだわった品揃えが魅力。開田高原産のそば、すんき、御岳はくさい、ブルーベリーなどを使った食品と、民工芸品、化粧品などを集めている。一番人気は、開田高原産とうもろこしのゴーフレット10枚入り650円。
檜、サワラ、コウヤマキなどの木曽五木を使用し、伝統的な小屋組技法で建てられた資料館。「人面装飾付有孔鍔付土器」[じんめんそうしょくつきゆうこうつばつきどき]をはじめ万場[まんば]・大野[おおの]など縄文時代の遺跡から出土した土器・石器を展示。所要20分。
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